新しいブログへ引っ越します

いつもご訪問いただきありがとうございます。

本ブログの画像容量がいっぱいになったため、

立春という新しいサイクルに合わせて、

とてもいいいタイミングで新しいブログへと引っ越しすることになりました。

まさに変化の予兆です!

新しいブログのアドレスはこちらです。

吉備の国から3

よろしければ引き続きご訪問お待ちしています。
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# by seaha | 2009-02-04 15:07 | インフォメーション

ファーマーズ・キッチン イヌイットへドライブ

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新しい車でドライブしようということになり、兵庫県の高砂市へ足を伸ばした。メンバーはスーザンコンサートの企画をはじめ、昨年の伊勢神宮参拝や岐阜でのイベント参加など一緒に行動をともにするいつもの3人だ。

高砂市阿弥陀町というところにイヌイットというお店がある。お店はファーマーズキッチンという名のとおり、自然の食材を大切に料理して食べさせてくれる。ここのマスターとは思い返せば20年以上の付き合いになる。ぼくたちが20代にサラリーマンとして広告制作会社に勤めていた時の同僚で、一緒に働いたのは1年くらいだったかもしれないが、お互いにとても刺激を受け合いながら、内容の濃い時をともに過ごし、その後それぞれの道を選んで歩み始めた。それからは会える機会はずいぶんと少なくなったが、今でも心のどこかでいつもつながっている。いい時期を見計らい、同時期に広告制作会社で働いていた同僚たち数名とも同窓会のようにときどき会うのを楽しみにしている。

ぼくたちはちょうど12時くらいに到着したが、お店の駐車場はいっぱい。いつもながら大人気で、待っているお客さんも5組ほどいた。こんな片田舎の田んぼの中にあるお店なのに、わざわざ待ってでも食事をしたいと思わせるのは、料理はもちろん、お店の雰囲気やスタッフの対応の気持ちよさ、そういうハーモニーが奏でる雰囲気が人を引き寄せているのだと思う。

席があくまでもうしばらく時間がかかりそうとのことで、ぼくたちはそこから5分ほどのところにある鹿嶋神社へ参拝。お店や屋台も出ていて、けっこうたくさんの参拝者でにぎわっていた。本殿に参拝し、しばらく散策してお店にもどったが、相変わらず待ちのお客さんが数組。ぼくたちもしばらく待って薪ストーブの前の席に座らせてもらった。

3人それぞれに違ったメニューを注文させてもらい、互いに少しずつ料理をシェアさせてもらったが、どれもとてもおいしかった。見た目も味も毎回パワーアップしている。まず、しゃきしゃき大根サラダとドレッシングが絶妙。続いてアツアツの具だくさんのスープにお腹がほっこり、メインディッシュはソースまできれいにたべきった。最後にスタッフのFちゃんが焼いてくれたおいしいケーキとコーヒーで大満足。話もはずんでずいぶんと長居をさせてもらった。

この日は、とくにお客さんが多かったそうで、けっきょくマスターとはゆっくり話はできながったが、それでも久々に顔を見ることができて、とても充実した一日となった。

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ファーマーズ・キッチン イヌイット
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# by seaha | 2009-02-02 10:30 | 雑記

プロフェッショナルとは?

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いつも楽しみにしているテレビ番組に「NHK プロフェッショナル 仕事の流儀」がある。最後に茂木健一郎さんが「プロフェッショナルとは?」という問いかけをするが、それぞれの出演者の言葉にその人となりがにじみ出て、なんともすがすがしいものを感じる。

今朝起きがけに布団の中で、何となく仕事のことを考えていたら、茂木さんの「プロフェッショナルとは?」という声なき声が聞こえたような気がした。そうだな、ぼくならどう答えるだろうなぁと考えてみた。

「まず、難しいものを易しく、易しくしたものを面白く表現できること。それから、一つの仕事を続けていると良い時も悪い時もあるが、どんなときも平常心を保ちながら続けられること」

誰でも、どんな仕事でも、それが主婦業であっても何年も何十年も続けてきたことには、それぞれの「プロフェッショナルとは?」という問いへの答えがあるはずだと思う。良い時も悪い時も、特に悪い時でも変わらず続けられるということは、よほど自分の中にしっかりとした芯になるものがあり、ささやかながらも楽しみや喜びがないと続けられないものだ。続けられるということがプロフェッショナルなのだと思う。

雇用の問題が取り沙汰されているが、「プロフェッショナルとは?」という問いの中にその答えがあるような氣もする。

茂木さんから「プロフェッショナルとは?」と聞かれた時、皆さんならどう答えるでしょう?
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# by seaha | 2009-01-31 09:48 | 気づき

オールを手放す

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数年ぶりに大阪時代に知り合った女性Jちゃんから電話があり、友人が吉備の国に引っ越したので紹介しておきたいという話だった。そういえば、別の大阪時代の知り合いのSくんからも岡山に引っ越した友人がいるので紹介しておきたいと言われていたな。それにしても岡山に引っ越してくる人が多いのだなと思っていたら同じ人だった。

そのJちゃんは近々結婚して仙台に引っ越すという。Sくんはインドに向けてしばらく海外周遊の旅に出るという。動く人のところには動く人たちがシンクロニシティで集うものなのだな。そういえば、うさとの服の拠点も今月10日に新しく移転した。間借りしていた町家から、今度は一軒家の町家に移った。

よく考えてみると、JちゃんもSくんもうさとで働いているスタッフ数名も、みんな6年前の同じ時期に、あるプロジェクトに参加して知り合った友人たちばかりだ。その人たちがここに来て一気に動き始めている。まさにChangeだ。

この人たちに共通する生き方がある。それはコントロールしない生き方だ。川の流れに例えると、普通はオールを持って自分の行きたい方向に一所懸命にこぐものだ。あの岸に着きたいと思うと船頭をそちらに向けてオールをこぎ、ときには上流に向かって必死に力任せにこぐことさえある。自分で目標を立て、努力するのがこれだ。

彼たちはそれをしない。流れに身を任せていれば、最善の場所に流れ着くことを知っている。必死でオールをこがなくても、大きな川の流れという目標があり、その流れに身を任せていれば、必ず大海にでる。そのことを知っている人たちなのだと思う。
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# by seaha | 2009-01-29 16:23 | 大きな流れ

心と体を一緒に使う練習

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春にある合氣道の初段審査会に向けて、週2回の練習に通っているが、なかなか思い通りにいかないものだ。静止しているときには統一体を維持することができるが、動くとどうしても統一体が保てない。初段に合格するためにはどんな状況でも心と身体のバランスを保つ必要がある。

先生がそういえば言っていたが、心身統一合氣道は茶道に近いものがあり、立ち居振る舞いの作法を身につけていくのに似ているそうだ。毎回細かい身体の動きや位置をアドバイスしてもらうが、その感覚がとても微妙なので体得するには繰り返して身体で覚えていくほかない。

他の格闘技で相手と対面するその顔を見ると、たいてい鬼の形相のようになってる。戦う前に相手を気合いで打ち負かそうとしているのだ。。合氣道では怖い顔をすると氣が滞ってしまう。そんな顔になると失格だ。心身が統一しているときの顔というのは、どこか落ち着きがあり、氣品のある顔になる。顔の作りの善し悪しじゃなく、なんとも親しみを感じる顔になるのだ。

では、どうすれば落ち着きのある顔になれるかというと、相手に対して好意を抱くこと。練習時も相手に対して、心の中で「好き、好き」と唱えながら技をかけると力も抜けて氣持ちよく技がきまる。どうぞいらっしゃい、いつも心はウエルカムなのだ。

心身統一合氣道の創始者・藤平光一は、野球選手だと王貞治をはじめイチローや松井など、相撲では千代の富士をはじめとして多くの力士に統一体を教え、力むと氣が滞ることをアドバイスしている。それがきっかけでやぶにらみすることなく平常心で望み、大きな業績を上げた選手も多い。一流の強い選手になればなるほど氣品というものがにじみ出るものだ。こうした一流選手は、統一体のことを聞けば一度で理解するという。

合氣道を始めて今年の春で3年になるが、入門したての頃に初段を目指していた人たちも、今は初段や2段に合格している。以前に比べると、その人たちの身のこなしといい、顔つきといい、ずいぶん雰囲気が変わっていて、品格がにじみ出ているような気がする。

身体の力を完全に抜く、というお約束事があるのだが、力が完全に抜けたら顔の力も抜けて楽しげに見える。心も体もリラックスしている状態だ。こうなると氣持ちいいように技も決まるようだ。心と体を一緒に使う練習には、合氣道はもってこいだと思う。

※岡山・総社でも合氣道の教室が始まったようなのでインフォメーションしておきます。
「総社 心身統一合氣道」
場所:総社市 武道館
日時:第一日曜日
   13:00〜14:00 氣の体験講習会(無料)
   14:00〜17:00 心身統一合氣道 入門
会費:1000円
連絡:090−5268−4886(都築)
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# by seaha | 2009-01-29 15:22 | インフォメーション

立石眺望

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刻々と変化する空と海の様相、白雲と雪雲が入れ替わり立ち替わり行き来し、その度に海がいろいろな表情を見せてくれてあきない。ぼくたちがいるこの世界も今、同じように変化のまっただ中にいるようだ。白雲と黒雲の入れ替わりに一喜一憂する。雲に遮られた影も、高台から見るとただ一瞬のこと。その上には相変わらず太陽がサンサンといつも照り続いている。

ここは児島半島にある立石(たていわ)。海沿いの道を走るたびに気になっていた小高い山の頂上にあるイワクラだ。いつか登ってみようと友人と約束していたが、なかなか果たせないでいた。

昨年の秋頃、小串にある先祖の氏神神社に参拝したときに、境内を掃除している女性がいた。ぼくが参拝し祝詞を上げ終わると話しかけてこられた。その方はこの神社の宮司さんで、江戸時代から代々この神社を守って来られた家系とのこと。いろいろと地元の話を聞かせていただきながら、立石のことをぜひ聞いてみたいと思った。

以前、イワクラの写真を撮って全国を巡っていた友人がこのイワクラのある山に登ったと聞いていたが、麓からの急な坂道は相当に険しい上り道だったとのこと。その話を宮司さんにしてみると、国民宿舎あたりから遊歩道があると教えてくれた。ぼくたちでも気軽にたどり着ける感じの話だった。

それがきっかけで、あの気になるイワクラに登れるという期待が大きく膨らんだわけだ。そしてついに昨日決行。地元に住む友人に聞いてみると、国民宿舎から入る道と、八丈岩登山口からの2カ所の登り口があるとのこと。ぼくたちは八丈岩登山口から登ることにした。

この日は相当に冷え込み、地面には立派な霜柱がところどころに立っている。風も多少あったが、差し込む日差しが心地よく、歩いているとちょうどいい天候だった。道すがら木々の合間から瀬戸内海が眺望できる。風雲の流れにまかせて海に映る影がコントラストをつくり出し、なんとも幻想的な風景が広がる。空気は澄み、小豆島から四国までよく見渡せる。

八丈岩を中間地点にして、40分ほど歩くと、あの立岩が見えて来た。海と空に浮かぶイワクラ、という感じがすばらしい。整備されていない急な山道をぐんぐんと下り、イワクラのある小山の麓へたどり着き、そこから一気にイワクラに向けて急な岩場を登る。ついに気になってた立石にたどり着いた。

広がる海の眺望は最高。元旦に初日の出の写真を撮りに行った浜も見えている。今度はぜひ、朝陽をここから見ようと友人と約束した。
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# by seaha | 2009-01-26 11:34 | 写真日記

心ひとつの置き所

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今年になって前歯がうずき出し、舌先で歯の裏側の様子を探ると少し熱を持っているような感じがする。この歯は30年以上前に治療したことがある歯だが、風穴をあけて息しやすくしてほしいと言っているような気がした。

先日、予約していた歯医者で古い治療跡を削って新しく埋め直してもらうことになった。丁寧に時間をかけて治療するなら数万円かかるが、どうするかと尋ねられたので、保険治療でお願いした。すでに神経を抜いているので麻酔なし。研磨機が高音を立てて歯の裏側の古い治療跡を跡形もなく削り取っていく。しばらくして、うがいをしてください、と言われたので紙コップに入った水で口の中をゆすぐ。舌先で削った跡をなぞってみたら、ぽっこりと穴があいていたが、いっぺんに息をしやすくなったような感じがする。

先生によると、以前の治療のときの埋め込み物にすきまがあり、そこにばい菌が入って化膿を起こしているそうだ。30数年前といえば、今のように詳細なレントゲン等とらずに歯科医の勘で治療していたのだろうから、治療が不十分であってもしかたなかったのだろうか。削った跡からまだ少しずつだが膿血が出ているようだからと、次回の治療日まで穴のあいた状態でいてくださいと言われる。

しばらく続いていた歯のうずきと痛みから解消された。身体の中のほんの小さな一本の歯の出来事なのに、大きく気分を左右する。身体というのは不思議なものだなと思う。


その夜、前歯の裏側に穴があいた状態のままで、最近親しくさせていただいている神主さんのお宅での新年会におじゃました。親しい友人数名と初めての方も2名。その一人の女性はよくテレビに出ている方なので、ぼくの方はまったく初対面という感じではなかった。

神主さんのお宅に集うような人たちだから、なかなか深い話をみんなされる。神社や聖地めぐりの体験談や、地元の神楽の話、それはそれは興味深い話の数々。初対面の女性の一人が、以前、神主さんが正装している姿をみて陰陽師みたいだと思ったそうだ。その後、同じ神主さんが作業服を着ている姿を見て、別人かと思ったとのこと。

神主さんがその女性にこんな話をされていたのがとても印象に残った。かいつまんだ話の内容は、人は自分の心で思った通りに展開していくものです。同じ話でも、その話を自分がどう受け取るかによって違ってくる。占いにしろ何にしろ、良いものだけを自分の中に取り込んで行けばいい。私が作業服を着て「よお、ねえちゃん、いい感じだね、良いことあるよ」と言われると、そうなの?というような感じで受け取る。しかし、神主の正装をして「なんじに近いうちにすばらしきことが巡ってくるであろう」と言われたら、はは〜もったいないことでございます〜と頭を下げたくなり、信憑性はおおいに増す。同じ人間が同じ内容の話をしているのに、受け取る側がどう受け取るかに寄って、受け取った内容が違ってきます。すべて自分がどう受け取るか、自分がどう感じるか、それが大事。

なるほど、どんな人がどんなことを言おうとも、自分がそれをいかに自分に都合良く受け取るか、いかにプラスに転換して取り入れるか、そのことがとてもだいじなんだなあと、とても感慨深く受け取った。

今年は世界全体にいろんなことがあるし、これからも想像のつかないような展開が起こるだろうけど、心ひとつの置き所だなと、そんなことを思った。
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# by seaha | 2009-01-23 16:05 | 気づき

間寛平アースマラソン

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曇り空の瀬戸内海。いつもは見える四国がかすんでいるので水平線が広がっているように見える。そういえば間寛平のアースマラソン、今どのあたりを航海しているんだろう。この海につながった太平洋のど真ん中を航海しているはず。気になってネットで検索してみたら公式サイトがあった。

間寛平アースマラソン

インターネットを使った日記と画像、それに動画まで発信されている。その日記にコメントを入れられるようになっていて、そのコメントは寛平さんがすべて目を通しているとのこと。肉体的な危険にさらされていることには違いないが、精神的にはずいぶん心強いだろうなと思う。

それにしても、太平洋のど真ん中で起こっていることを、タイムリーに吉備の国のこたつの中で見れるというのは、なんとも不思議な感じがする。3年近い旅になるという、なんとも大胆な試みだ。成り行きをちょくちょくのぞいてみたいと思う。
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# by seaha | 2009-01-20 11:18 | 雑記

牛窓方面へドライブ

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新しい車がやって来て1週間が経った。思った以上にいい走りをしてくれるので、ついついアクセルを踏み込んでしまう。ちょうど1週間前に車が来た翌日に京都までドライブしたが、吉備の国から2時間半ほどで到着。一緒に行った友人に言わせると、少々ハイペース気味だったようだ。この車には燃費計の表示があって、アクセルを踏み込むと数値がググッと下がる。京都への行きはずいぶんアクセルを踏み込んだので数値が低かった。帰りはゆっくりと走ったのでかなり燃費計の数値もよかった。

街中を走ると信号と渋滞でスムースに走れない。そうするとどんどん燃費計の数値が下がっていく。数字とにらめっこしながら一喜一憂してしまう。今日は少し郊外に走りに行ってみようと思い立ち虫明湾までドライブ。2号線バイパスからブルーラインにかけては信号がほとんどないので、とても軽快に走ることができた。燃費計の数値はぐんぐん伸びるので気分がいい。

虫明湾からは牛窓へ続く海岸線の細い道をくねくねと走ってみた。この車にはスポーツ走行のギアがあり、曲がりくねった坂道も力強く走ってくれる。足回りもしっかりしていて安定した走りをしてくれるので安心だ。

途中、ところどころで車を停めて写真を撮った。車から離れる時は一応ドアロックをするわけだが、この車はキーを差し込まなくていい。ポケットにキーを入れておいたら、ドアの開け閉めもエンジンスタートもキーなしでできる。初めはそんな機能はあってもなくてもいいと思っていたが、これがかなり便利だとわかる。特に買い物などの荷物を手に持っている時などは本当に助かる。

どの機能も満足満足。前の車がクラッシックだったので、ぼくを満足させるのはいとも簡単だ。新しい車との相性もばっちり、これから活躍してくれそうだ。
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# by seaha | 2009-01-17 18:14 | 雑記

さよなら、ようこそ!

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今日の午後、5年間お世話になった車とお別れして新しい車がやって来る。年明けに給油したガソリンがまだ残っていたので、昨日は半日ほど最後のドライブに行くことにした。

ドライブに出発する前に歯医者さんへ。前歯が少しズキズキするのだ。虫歯かと思いきや、歯茎が少し化膿していて神経を刺激しているとか。簡単な処置でずいぶんと楽になった。疲れがまたってくると身体のいろいろなところに症状が出てくるのだと歯医者さんが教えてくれる。そういえば昨年末からずいぶんとハードな時期を過ごしたにもかかわらず、それほど身体がくたくたになった感じはなかったが、見えないところに疲れがたまっていたのだなと思う。

そういえばここのところ、間食も含めて胃袋の休まることがなく、少し胃袋を休ませた方がいいなと思いつつも食べ物を流し込んでいたので、この日は絶食の日にしようということで、軽めの朝食をしたあとは水と野菜ジュースだけで過ごすことにした。

さて、どこへドライブしようかなと思ったが、この車と良く行った児島半島の小串へ行くことにする。先祖にゆかりの宝積院と八幡神社にお参りし、黒住宗忠が小豆島へわたるとき遭難しかかったときに九死に一生を得た浜辺で少し過ごす。その半島のちょうど裏側にあたる浜辺もお気に入りで、一望できる海は開放感がある。何度かこの場所に足を運んだが、以前に来た覚えがある。そうだ、そういえば小学生の頃に父や叔父さんと毎年夏の夜になるとイカ(ベイカ)を穫りに来た場所だと記憶がよみがえる。

そこに車を留めてしばらく車の中で読書をした。この日は『ハワイの秘宝』という本をドライブの友に持参していた。ホ・オポノポノというハワイに伝わった癒しの方法が書かれている本の一冊だが、他にもホ・オポノポノについて書かれた本があるが、この本が一番詳しく深く書かれているように思う。

ぼくたちは記憶の海の中に生きている。ある瞬間にいろいろな記憶がよみがえってくる経験は誰もが持っていると思うが、その記憶が問題をつくりあげる。腹立たしかったり、怒りがわき上がったり、楽しかったり、喜びを感じたり、嘆いたり、その記憶がそういう感情を呼び起こしている。

その記憶を消し去らないかぎり、その思いというのはどうしようもなくわき上がってくる。ホ・オポノポノはその記憶をすべて消し去りゼロにする秘宝を説いている。ぼくがホ・オポノポノの手法で感銘を受けたのは、自分以外のすべての存在はすでに悟っていて、自分がいろいろな思いや記憶を持たなければ、これからどうすればいいかはすべてそのモノたちが知っているというのだ。

ぼくは以前、ある人にこんなことを教えてもらった。自分以外のすべての人は悟った存在で、唯一悟っていないぼくのために、ぼくが早く悟れるために迫真の演技をもってぼくを導いてくれているのだと。そうか、嫌みっぽいあの人も、愚痴を言うあの人も、励ましてくれるあの人も、本当はみんな悟っていて、ぼくが悟れる最短距離に導いてくれるために演技をしてくれてるのか、そう思うと確かにありがたいというか、申し訳ない気持ちになる。

本当か嘘かわからないが、そう思うと少しは謙虚な自分に戻れる。嘘も方便でこの見方は、これはこれですばらしいなと思う。はっは〜、またこの人は怒ったふりをしてぼくを導いてくれてるんだなと思うと、不思議とありがたい気持ちになったりもする。同じ怒った人が目の前にいても、それを煩わしく思う自分がいると思えば、瞬時にありがたい気持ちの自分もいる。ということは、怒っている人の問題ではなく、それをどう感じているかという自分の捉え方の問題なんだということがわかってくる。

ぼくは今日お別れする車にも人格をもった一人の存在としていろいろと話しかけてきた。22年も経っているので車検の時期になると買い替えるか、それとも車検を受けてあと2年の乗り続けるか。車に相談する。耳を澄ませると、もう少し一緒に走ろう、というような感覚が伝わってくるので、車検を受けることにする。そうやって2回車検を受けた。今回は、もういいよ、と車が言っているような気がしたので買い替えることに決めた。そう決めたら一気に車にガタがやってきた。ドアの締まりがわるくなる、足回りはギシギシと音を立て始める・・・。ずいぶんと車がいい状態をキープするために踏ん張っていてくれたんだなと思うと、ありがとうという気持ちが湧いてくる。

さて、これからガソリンスタンドに行って洗車機にかけ、車内を掃除して車を送り出そう。新しい車は今日の午後に氏神様でお祓いを受けることになっている。

明日は笠岡の友人夫婦とともに新しい車で京都へ初ドライブの予定だ。
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# by seaha | 2009-01-09 10:31 | 大きな流れ